車はダイアモンドではない。
車は高い。
最近は軽自動車でも200万円する物もある。
もちろん作るのにすごく手間がかかり、
沢山の資源を使って作られた物だ。
高くて当然といえば当然である。
しかし。
買ったは良いがぶつけるのが怖い、
汚れるのが嫌だといった感じで
妙なプレッシャーを放つ。
せっかく買った車が妙に乗りづらい。
という経験をしたことはないだろうか?
これは新車に限らず中古車でもあることだ。
何故か。
高いから。
これがほとんどの理由だろう。
直すのも洗うのも綺麗を保とうと思えばそれなりにお金がかかる。
そこで考えて欲しい。
車=綺麗
という認識だ。
車は本来移動の道具として生まれ、進化を遂げてきた。
塗料は錆防止であったり、
環境・社会に対応するために塗られた物。
そしてスポーツカーの美しいボディは
ひたすらに速さを求めるために描かれた物。
つまりは機能美である。
昔の話をすれば塗料は色も少なく、脆くて
自分たちで塗り直したりもしていた。
またスポーツカーも当時は
鉄板をハンマーなどで丁寧に叩いて美しい曲線を生み出したり、激しく走ることを前提に
塗料や装備も完璧とは言えなかった。
それに比べ現代はコンピューターの進化や
ロボットの参入、技術の進歩で
高い品質の車をたくさん作れるようになった。
しかし車の値段は上がり続けている。
それは何故か。
安全装備や快適装備の過剰装着、
そして本題の極度に磨かれた見た目だと思っている。
従来までの道具としての車を大幅に超えた物がたくさん作られているのではないかと。
昔は少しぶつけても自分たちで直していた。
しかし現在は色1つでも複雑な調合がされていたり、迷路のようなピカピカの外装のため
修理ではなく交換が前提になりがちだ。
そうなると自ずとお金がかかる。
今までのようにはいかないのだ。
そして多くの人が極度に緊張して乗ったり、
修理を諦めたまま乗っていたりする。
自分たちで手をかけることが出来ない。
もはや道具としての役割が失われつつある。
今一度、車という物を頭で考える時が近づいているのかもしれない。
昔のように自分達で磨き、直し
色あせても愛し続けられるような物。
それが車という物であってほしい。
どんな車でも。